会長あいさつ

大阪狭山市果樹振興会の尾崎頼行会長に聞きました

ここはヨーロッパのような農村風景なんです!

私はぶどう農家の生まれですが、専業になったのは7年前。それまではサラリーマンとの兼業で、休日に機械を動かしたり、力仕事など、家族全員でぶどう栽培を支えてきました。女性が日々の作業を行い、私のように外で働く男が縁の下の力持ちになるケースが多いため、「大野ぶどうは女性でもっている」とよく言われます(笑)。ぶどうは粒間引きなどの細かい作業が多いため、手先が器用でないといけません。そういう意味でも女性に向いているのでしょう。ぶどう農家の女性は高齢になっても現役で働いているので、みなさんイキイキされています。いつまでもイキイキと輝ける場があるのはとても幸せなことだと思います。

ここは大阪府内の小さな産地ですが、大野ぶどうの名前が世に知られるようになったのは[国際花と緑の博覧会/花博](1990年)がきっかけでした。市の名物を出してほしいということで、ぶどうの木、30本ほどを鉢植えにし、組んだ竹と絡ませ、ぶどう棚を再現したところ、たいそうな評判を呼びました。それだけではありません。味の良さを知っていただいたのか、有名ホテルから大野ぶどうを分けてほしいというご依頼をいただいたんです。これが農家の自信となり、直売所で販売するきっかけにもなりました。さらには[大阪産(もん)]に認定されたことも、農家の誇りにつながりましたね。

私たちは他所の産地農家と交流しますが、ある農家さんから「大野ぶどうには勝てない」と言われたことがありました。大野ぶどうの代表格であるデラウエアは粒が大きく、独特の飴色をしており、これは真似できないんだそうです。そもそも土壌が違うので作りようがないんですね。消費者のみなさんに喜んでいただけるだけでなく、プロに褒めてもらえるのはとても光栄なことです。

丘陵に広がる大野ぶどうを見るたびに、ヨーロッパの農村風景を想像します。100年以上続くこの景色を残していくためにもさまざまな課題に取り組んでいきたいと思います。