会長あいさつ

大阪狭山市果樹振興会の中村惠俊会長に聞きました

大野ぶどうの歴史を次代につなげていく

みなさんにはふるさとの景色というものがあるでしょうか。
ぶどう農家の私にとって、南河内の小高い丘一面に広がるぶどう棚の光景はいつもそこにあるもの、として心に刻まれてきました。

かつては大野地区を中心に100軒以上のぶどう農家が栽培に励んだと聞きますが、土地開発などの影響でぶどう畑はみるみるうちに減少の一途をたどりました。
今よりも機械化に頼れず、ほぼ人力だけで大地を耕し、年中休むことなく、樹を手入れし、驚くような甘いぶどうを生み出した地域の宝が失われてしまう・・・・。

少しでもふるさとの景色を守りたい気持ちから私は会社員を辞め、ぶどう農家の3代目として就農の道を選んだのです。
もちろん、2代目である父親の農業に架ける熱意が背中を押してくれたのは言うまでもありません。

よそとは違う新しいぶどうの品種を作る、という先代から受け継いだ信念のもと、私はこれまでに13品種の開発に成功しました。
オリジナル品種にはワインのような風味の[すばる]や果汁たっぷりで、とろける食感の[きらり]などユニークなぶどうも創り上げました。

大野ぶどうは消費地に近く、優良な品種を生み出す活力と生産者同士のヨコのつながりがあるため、ぶどう栽培にかける熱意はどこにも負けていません。
それは若い人が就農にチャレンジしやすい環境にあるともいえます。

コロナ禍を機にふるさとを見直そうという動きや農業に関心を持つ若者が増えています。そんな若者たちを受け入れる制度やアイデアを募り、大野ぶどうのさらなる発展に力を入れていくつもりです。